CHEMI STORY

01

「トラネキサム酸」が世界最大クラスの
製造能力を獲得するまで!

プロジェクトの概要

人工合成されたアミノ酸である「トラネキサム酸」。多くの医薬品に使われているため、原薬でありながらその名前は一般的に広く知られています。本プロジェクトは、トラネキサム酸を安定供給するため「世界最大クラスの製造能力」を獲得すること。まさに社運を賭けた一大プロジェクトでした。

PROJECT MEMBERS

製造部

製造部

製造部

製造部

品質保証部

品質保証部

品質管理部

品質管理部

#01

最大規模の投資。

2007年に立ち上がったこのプロジェクトは、それまでトラネキサム酸をつくっていた別の会社から協和ファーマケミカルヘ、製造を移管したものだった。のどの痛みや口内炎に効く抗炎症剤やいろんな止血に効果がある抗止血剤、オーラルケア製品やスキンケア製品や…実に多くの製品に使われている原薬・トラネキサム酸を、当社が世界最大クラスで製造し安定供給すること、しかも「可及的速やかに」というミッション。社内でも「最大規模の投資になる」という話が聞こえるこのプロジェクト、一筋縄ではいかない空気は、メンバー全員が感じていた。
プロジェクトは、古い建物を解体しトラネキサム酸製造に必要な設備を装備した専用工場の建設から始まった(その規模も、当社史上最大級だった)。原薬を安全に、目指す量を作れるように設備やプロセスなどを設計。実験室スケールで製造を行い、工場規模にスケールアップして生産量をあげていく。様々な品質試験を行い、クリアすれば出荷という流れだ。一見、決まった道筋を辿っていけば良いように見えるかもしれないが、現実は厳しかった。プロジェクトメンバーは着手してまもなく「何もかもが想定通りにいかない」という悩みを抱えることになる。 ※当時の取締役の口癖

画像
#02

想定外に次ぐ、想定外。

移管元で製造していた工場のデータがあるため、ある程度の想定のもと進行できるのではないかという楽観的な予測もあった。しかし、条件が異なるからか、全くその通りにはいかなかった。工場が立ち上がってから数年の間は設備トラブルが多発。機器の作動条件を一つひとつ細かく設定しなおすなど尽力するも、工場内では配管が詰まる、液体の流れる温度や速さが設定と違うなど、複数の工程で設備が異常を検知、あちらこちらでアラームの音が鳴り響いた。工場内は、パニックになる。対応に時間がかかればロットが落ち、年間生産量が目標に届かない。メンバーは毎日顔を合わせてトラブルを報告し、何かアイデアはないかと話し合った。そんなときにメンバーの元に届いた「目標の年間製造量、増量。」というニュースは全員を驚かせる。当初の目標数値(既に膨大といえるレベル)で設計していたので、設備の追加・変更や動力の交換など大掛かりな改造が必要になった。「これはもう、無理なんじゃないか。」湧き起こる思いをおさえて、メンバーは一丸となっていった。一丸となるほかなかった。

画像
#03

今だから笑える(かもしれない)話。

トラブルの原因は何か。一つひとつが予想外ゆえに、あらゆる角度から原因を探りあて解決する必要があった。機器仕様の問題なのか?操作の問題なのか?工程を考え直すべきか?ソフトウェアに不備があるのか?…各部署のメンバーが集まり、アイデアと手段を模索した。「なんとなくうまくいった」では、また同じトラブルが再発することは見えていた。安定供給がミッションである以上、根本的な解決に至るまで、試行錯誤を続けた。
あるときは、機械による自動ろ過ができなくなり、手作業で時間をかけてろ過をした。あるときは、原料を仕込んだ樹脂製受槽のなかに泡が大量発生。直径1メートルの樹脂製マンホールが浮き上がるという事態が起きた。またあるときは、磁性ポンプが予備機を含めて2台とも破損。それぞれ壊れた箇所が違うことに目をつけ、2つの正常な部品を組み合わせて1台のポンプを作り出した。
「すぐに相談する」「みんなで考える」「すぐにやってみる」この繰り返しで、数々のトラブルをメンバーは全員で乗り越えていく。

画像
#04

携わった者にしか、分からない。

当社の品質管理が心がけたのは「バッドニュース・ファースト」。もし出荷が遅れたり、誰かに迷惑をかけるとしても、悪いニュースほど一番に共有することだ。たとえば、品質試験の結果、試験中の原薬に金属異物が誤って混入したことがわかったとしたら、異物試験室の管理・運用の強化が必要であるということだ。トラブルは全て、改善への一歩。そしてどんなに大変なことも解決しながら一つひとつ乗り越えていけばいつか知見や技術は蓄積され、通常の作業になっていくということを全員が学んでいった。
目標である「世界最大クラスの製造数値」を達成したのは、プロジェクト開始から実に11年が経った、2018年のことだった。携わった者にしか分からない達成感。そこには、世界中の人々へこの原薬が安定的に届けられるプロセスを作り上げた大きな喜びがあった。
この一大プロジェクトに関わったメンバーの思いはひとつである。本当に、やり遂げてよかった。ただ、もう一度できるかと問われたら「勘弁してください」と、言いたい。

画像

半端ないプレッシャーと緊張感。そして、大きな達成感。